2005年10月04日
裸の王様(本流と亜流について考える)
世の中にはいろんな流れがあります。
その中には細いものから太いものまで様々です。
どの世界でも、その中で太いものを本流と言いい、細いものを亜流と呼ぶみたいです。
そして本流と呼ばれる人達(そう勝手に思っている人達)は亜流と呼ばれる人達(本人達はそうは思っていないし、勝手に本流と呼ばれる人達が思いこんでいるだけなんだけど)を差別し遠ざけようとする傾向があります。
でも本流だと思っていてもそれはその狭い世界の中だけのことであって、ほんとーの大きな流れは別のところにあるのです。
でも本流と呼ばれる大部分の人達は(くどいけどそれは勝手な思いこみ)それを見ないのか、見ようとしないのかどちらか分かりませんが見ることが出来ません。
そして全体が腐っていきます。
残念です。というか哀れです。
こういうのを形容するときに使われる言葉。「裸の王様」
よく知りませんが、格闘技も総合格闘技一つとっても今ではいろんなものが有るみたいです。
べつにこれは格闘技の話だけをしているわけではありません。日常によくある出来事だと思います。
2004/5/22 にグローバルスタンダードという名目でこんな事を書きました。
もう一度同じ内容のものをここに貼り付けます。
グローバルスタンダード
ゴールデンウイーク中に司馬遼太郎の「龍馬がゆく」を読み返してみました。
むかし日本は今のヨーロッパと同じように地続きの一つの島でありながら、その中にたくさんの国があり、身分制度がありました。
農民に生まれれば、一生土佐という世界から出ることもなく、何の疑問も持たず農民として死んでいく、そんな世界です。
それが、その人達にとっては「世界」でした。
そんな日本で坂本龍馬という人物は、土佐という小さな国に生まれながら、大きな日本というものを認識しました。日本初の日本人それが坂本龍馬でした。
それまでは、みな藩という国の国民でした。そんな中で世界の中の日本という考えを持ちました。日本で初めてグローバルスタンダードという考え方を持った人です。
偉大です。
修斗、柔術、レスリング、かなりマイナーな世界です。
柔道は修斗等に比べればかなり大きな世界です。でも、柔道をやっている人はみんなが柔道をやっていると思っていますが、実際はそうではありません。
野球、サッカーこれに比べれば、修斗等、柔道、空手全て合わせても、これは世界の中の日本ぐらいの大きさしかありません。その中でおれはあれだこれだなんだと、最近では総合格闘技だけでもいろいろあるみたいです。
小さな国で縄張り争いをしている間にどんどん大国に飲み込まれていってしまいます。
その中でその人達が一生懸命縄張りを張っているのを見ると、おかしいのを通り越して哀しくなります。
その狭い世界にとらわれるのではなく、私はサッカーや野球に流れていく人材を格闘技の方に引き込みたいと考えています。(その方策の一つが以前書いた「ビジネスプラン」でもあります。)
それには小さなことに目をとらわれるのではなく「格闘技」全体としてとらえることが必要です。
私は正直いって修斗や柔術等一つ一つの競技にとらわれたくありませんし、興味もありません。
(修斗は木口道場でやってきたし、柔術はいまでも現役だし、レスリングは子供に週2回教えて、一つ一つの競技は大好きなので、誤解しないでね。)
それよりも「格闘技」を浜松に広めていきたい。この「格闘技」という大きな枠で、この世界を浜松という小さな町に広めていきたい。
そんなことを思っています・・・。
*世の中にはいろんな人がいるので、こういう書き方をして誤解を受けないか少し心配です・・・・。