2019年08月13日
黒田官兵衛と中津城
黒田官兵衛がいた中津城に行きました
黒田官兵衛は豊臣秀吉と徳川家康の両方に仕えた人で2人ともが最も恐れた人物だとも言われています
これは何故かと言うと2人が実行した計画は2人しか知らないと思いますが、ほとんどは黒田官兵衛が描いた絵だったからです
だからその絵を書いた黒田官兵衛が、行動にうつされることが最も恐ろしかったのだと思います
黒田官兵衛は超クリエイターでありスーパーコンサルタントだったと思います
これは徳川家康豊臣秀吉の勘違いだと思いますが黒田官兵衛自体は、それを自分で実行して天下を支配することには全く興味がないと思います
それがクリエーターです
それなので息子の黒田長政にも天下を混乱させることをよく説いています
徳川家康が天下を取った時に息子の黒田長政と握手をしたそうですが、黒田官兵衛は自分の息子にもう片方の手でなぜ徳川家康をささなかったんだと聞いています
だからといって黒田官兵衛が天下を取ることや統治することに興味があったかというとそういう気持ちは全くなく、常に興奮して何かをしていたいと言う表れだと思います
つまり退屈なんですね
我人に媚びず贅沢を望まずこの言葉の意味もよくわかります
つまりいつも自由でいたいんですね
それがクリエーターです
贅沢をするとその分返さないといけなくなるので自由じゃなくなるんですね
政治家が誰かから多額の献金をもらってしまうとその人のために働かないといけなくなるのと同じ意味です
こうやっていろんな偉人と会っていくと非常に勉強になります
#黒田官兵衛