2006年11月27日
剣禅一如
剣禅一如
突き詰めていけば、剣(武道)も禅もかなり近いものだと思います。
武道は礼儀や礼法ではありません。確かにそういう部分もありますが、それは入り口というかレベルの低いたしなみ方だと思います。
礼のことをいえば何にでもそれはあるでしょう。茶道でも華道でもアルバイトでも何でもいいでしょう。
日本人がすごいと思うのは何でも日本人流にアレンジして、道というか「武士道」というエッセンスを付け加えてしまうところだと思います。
茶道なんてただお茶を飲んでいるだけだし、華もそうだしそれでも道にしてしまう、格闘技なんて一番すごいと思います。ただどつきあっているだけなのに、日本人がやると武道になる。
差別じゃないですが、他の民族がいくら何千年やろうが「格闘は格闘」にしかならないでしょう。
日本人が無宗教なのは、元来そういった武士道や禅の心を持っていたからだと思います。
武道は礼や礼法ではなく、命のやりとりという究極の状態での自分を磨くすべというかカルタシスを得る道だと思います。
それなので道場は努力して得られる達成感とかそういったものを得る一つ上の場所だと思います。
躾をする場所ではないし、それは出来ないと思います。
私もGYMをはじめた当初、17歳で小三の時から学校に行ってなく九九や漢字も出来ない子供が入会してきて、自腹で九九の学習帳を買ってやったりしましたが、結局人格が形成されていないからそんな人からは何もかえってきませんでした。
しばらくしてやめていきました。
自分の子供ですらままならないのに、しつけるのは無理だなと思いました。
次は「葉隠れ」を読んでみます。
Posted by k.o.shooto gym at 17:17│Comments(0)
│コラム
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